広智山大乗寺は明和8年(1771)〜文化4年(1807)に長期間をかけて再建された。
建築には地元大工の手によって行われ、寛政8年には平之内大隈流が造作に入り、最後に諏訪立川流によって欄間彫刻が納められている。
その後、静岡県東部にも大きな被害をもたらした関東大震災の時も、本堂:山内鐘楼堂は倒壊することはなかった。
昭和44年には地元大工の手によって、屋根を茅葺きから銅板葺きにして改修されて以来の大規模改修を、近い将来くると思われる東海地震を考慮した、修復、保存を諏訪大隈流の(株)石田組によって行った。
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